TOP
掲示板に戻る 最新50 全部 1-

゚・*:.。.フィリピン社会論.。.:*・゜

> >
大野特任助教授
VISITOR

現代フィリピンを知る。

No.1
2006/07/30 21:04 ID:pFJ8PbG4MA
大野特任助教授
VISITOR

はじめに

フィリピンの21世紀は民衆の力の政変劇で幕が開けた。
貧者の味方を掲げて登場したエストラーダ大統領だったが、政治運営のまずさに加え私腹を肥やす違法賭博の上納金疑惑などが暴露され、2001年1月20日、就任わずか2年半で退陣に追い込まれた。
新大統領にはグロリア・アロヨ副大統領が昇格就任した。
独立後10代目の大統領の誕生である。
1986年2月、長期にわたる強権体制をしいたマルコス大統領を政権の座から引き摺り下ろした民衆蜂起の第二幕ともいえる事件だった。
二つの政変劇が演じられたエドサ通り、マニラ首都圏の中心部を走るこの環状道路は1970年代初めまでハイウェーと称されていたが、その後、フィリピンを代表する愛国的知識人の一人、エピフォニオ・デ・ロス・サントス(Epifanio de Los Santos)の名が冠せられた。
あまりにも長いので頭文字をとりEDSA(エドサ)と呼ばれるようになった。

No.2
2006/07/30 21:08 ID:pFJ8PbG4MA
大野特任助教授
VISITOR

 沿道には、国軍や警察庁本部もあれば、高級住宅街もありショッピングモールが並び、高層オフィスビルやマンション、高級ホテルも次々に建設された。
近年、高架電車の線路が通り沿いに延びたが、ビル郡の背後にはスラム街が広がっている。
繁栄と貧困、エドサにはフィリピンの光と影を象徴するストリートだ。
マニラの産業道路であり、生活道路である生活道路である。
フィリピンと日本の間には約500年をこえる交流の歴史がある。
16世紀半ばのスペインによる植民地統治が始まる以前から、日本人は交易などでルソン島やミンドロ島に足跡をしるしてきた。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけては、日本の御朱印船がマニラの港などに出入りしていた。
大阪の堺港を出た帆船は琉球列島の沖で季節風をとらえ、台湾を右舷のかなたに見送りつつバシー海峡を南下しマニラを目指した。
約20日あまりを要す航海だった。
マニラには最盛期には3000人規模の日本町ができていたという。
そのマニラからはスペインのガレオン船が黒潮に乗り北上し、太平洋を横断、スペイン領メキシコのアカプルコとの間を行き来した。
マニラとアカプルコを結ぶ交易ルートは19世紀初頭まで維持されたのだった。

No.3
2006/07/30 21:20 ID:JOl7dwaIcI
名無し@MACWORKS
VISITOR

期待上げ
(%・∀・)ワクワクテカテカ

No.4
2006/08/15 01:19 ID:1clu0fNBo6
庭師
MEMBER

続きおにがいしまつm(__)m

No.5
2009/04/11 06:06 ID:FgqjmvvVA6
掲示板に戻る 前100 最新50 全部 文字サイズ:標準特大
゚・*:.。.フィリピン社会論.。.:*・゜ へ投稿
名 前: メール:
※Cookie取得ができない場合、初回投稿でエラーが出ます。

BOTTOM