数年前,とある掲示板にて「loko-loko」を名乗る文豪により連載されていた小説ぢゃ.
その後,別の場所にて著者自身により転載されておったが,そこもいつのまにか閉鎖されてしもうた.
まことにサーヤンぢゃで,Mac板にはせっかくこのやうな場があるのぢゃから,勝手に転載させていただいておる.
もしloko-loko氏からクレームがあれば,即座に削除させていただくでの.あしからずぢゃ.
3番目のグループになったとき、ぼくはついにそこにハニーを見つけた。28番の札が揺れていた。それはたしかにハニーだった。ぼくは不思議と驚かなかった。
黒のパンティとブラジャーをつけて、やはり彼女もまた、物憂げな踊りを踊っていた。それは人に見せようとする踊りではなかった。この人の世は存在せず、おのれも存在しない、ただ痛々しく晒された肉体だけが世界の果てに放置され、いのちあるものの証拠として意味もなく動いている、そういう感じだった。それは、ダンサーといっていたハニーの、ぼくが見るはじめての踊りだった。
暗い客席にいるぼくをハニーが認めた筈はない。おもわず呼びかけようとして止めた。
そうしてぼくはその店を出た。ハニーの黒い下着がぼくの目に焼き付いていた。見上げるとマニラの空に月が出ていた。なぜだがぼくはハニーのことより、彼女の二人の弟のことを思った。遠い昔に歌った歌を思い出していた。
青い月夜の 浜辺には
親を探して 鳴く鳥が
波の国から 生まれでる
濡(ぬ)れたつばさの 銀の色
夜鳴く鳥の 悲しさは
親を尋ねて 海こえて
月夜の国へ 消えてゆく
銀のつばさの 浜千鳥
∧_∧
(´・ω・`)
( つ旦O
オリジナルはこれで終りぢゃ。
しかし後日、著者自身の手により、エピローグが追加公表されておる。
翌日、ぼくらはマニラを発った。
ハニーに会おうとすれば出来ただろう。が、ついにぼくは会わなかった。会うべきだったのか、会わざるべきだったのか、それはいまでも分からない。
その後、ぼくらの街のあちこちに「マニラ」と同じフィリピン人の店が出来始め、酔い客たちの間に、フィリピンパブというジャンルが次第に馴染み始める。ぼくとKも、かつての新鮮な驚きこそ失せたものの、新しい刺激を求めて、それらの店々を探った。
そうして、ぼくにとって、ハニーのことは次第に過去の闇に沈んでいった。その後ハニーがどうなったか全くわからない。けれどもその後、他に無数のハニーがいることをぼくは知る、しかも、そのひとりひとりのハニーにひとつひとつの伺い知れぬ物語のあることを。
しばらく経って、「マニラ」が潰れたと風の噂に聞いた。よく判らないが経営者の悪い噂も聞いた。この国の畸形とも言える経済の隆盛が傾きはじめた頃だった。ぼくらはその頃はもう「マニラ」には行かなかった。
それを聞いて格別の感興もなかったが、それからまたしばらく経って、あるとき、ぼくはその「マニラ」の在ったところをたまたま通りかかった。すると、もう店は跡形もなく取りはらわれ、空き地になっていた。驚くほど狭い空き地だった。
かつてここに、ぼくとハニー、Kとマリアの夢の宴、あのめくるめく空間があったのかと、軽い感傷がぼくを捉えた、すべては、もう永遠にこの手に戻ってくる筈も無い、遠い日の幻に過ぎないのかと・・・。
おわり。
∧_∧
(´・ω・`)
( つ旦O
いかがぢゃったろうか。
バハイに番地があることへの、まことにささやかな望み‥
渡比して現地貧困層の生活を目の当たりにしたことがある者には、さぞ胸に迫る何かを感じられることぢゃろうて。
また最後に浜千鳥を出されるあたり、著者の文学的センスが光っておろう。
* *
* + グッジョブ!
n ∧_∧ n
+ (ヨ(* ´∀`)E)
Y Y *
全文、ありがとうございました・・・m(_ _)m
でもさ〜そんな昔の彼女らは、ほとんど入れ歯だったような記憶が。
松本市じゃないけどほぼそれ目的で、接客してたよ?
爺はドクダミ茶さんでつか?

バハイ、わたしの家
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